2022年度 連盟の概要

導入と普及の経緯

 昭和62年7月1日の越谷市立総合体育館の開館に合わせ、昭和62年7月20日に「財団法人越谷市施設管理公社」が設立されました。
当時、常務理事兼事務局長であった平川武史氏が、あるテレビ番組から富山県朝日町で「ビーチボールバレー」が盛んに行われていることを知り、市民のコミュニケーションや健康づくりのため、「いつでも、どこでも、だれでもできるニュースポーツ」として導入を決定したのが始まりです。
 平川氏は、早速、朝日町に職員を派遣するなどして、昭和63年2月には教室や講習会の開催や指導者の養成に取り組み、昭和63年度からは、教室や講習会を増やすなど、ビーチボールバレーの普及に努めました。
 そして、昭和63年10月16日には「第1回施設管理公社理事長杯争奪ビーチボールバレー親善大会」、12月5日には理容業の従業員を普及対象にした「第1回マンデー杯争奪ビーチボールバレー大会」が開催されました。
 さらに、総合体育館に行けばビーチボールバレーができる日として「ビーチSTEP(ステップ)」が創設され、指導員(山崎忠則氏、福田祐子氏、須田勝美氏他)の育成とともに、常時指導できる体制が整備されました。また、更なる普及と愛好者の拡大を図るため、平成2年7月21日には「第1回サタデー杯ビーチボールバレー大会」、平成3年3月17日には「第1回こしがやオープンビーチボールバレー大会」が開催され、以後、年間の4大会が開催されるようになりました。
 その後、関係者や愛好者たちの努力により一層の普及が進み、今日に至っています。

創立の経緯

平成11年7月、財団法人越谷市施設管理公社からビーチボールバレー愛好者の組織化と連盟の設立について、山本万里子氏、岩渕直子氏、中村典範氏、中村讓二氏らに相談があり、その後協議を経て、平成11年11月21日、6団体の代表者18名により「越谷市ビーチボール競技連盟」が設立されました。
そして、初代の会長に中村讓二氏、副会長に中村典範氏、山本万里子氏、会計に岩渕直子氏が就任しました。